アイドル好きの言い訳

いろんなアイドルの話をしてるだけです。

アイドルと“大衆性”のお話

こんにちは。今回はちまちま書き進めてたもののなかなかまとまらず、下書きに最も長い時間滞在する事になってしまった、アイドルにおける“大衆性”のお話です。ヘンガレのカムバが終わった辺りに思うことがあって書き始めたのに、なかなか形に出来ないまま次のカムバを挟んでしまい気付けば年末…。これ以上温め過ぎると何が言いたかったのか分かんなくなりそうだったので、いい加減にせねばと思い仕上げにかかってみます。うまく結論まで辿り着けるかな。

まずこの話を考えるきっかけになったのは、とあるCARATのブログでした。そこには、2017年にプデュとワナワンが社会現象になった事について「セブチがどんなに望んでも得られなかったもの」と書かれてました。日本でもアイドルの世界には昔から“一般受け”や“大衆人気”なる概念があって、すぐ一般受けがどーとか、世間に見つかった見つからないで学級会起きますけど、私は一般層ってやつにあまり実態を感じなくて。以前「一般が受け入れなきゃ半人前みたいな発想がなんだかなと思ってて」と書いた事がありますが、みんなが言うほど重要性があると思えなかったんですよね。

「ブレイクするってことは馬鹿に見つかるってこと」という有吉の名言もありますが、色んな芸能人が何かの拍子に注目され、短期間に消費されて飽きられていくのを何度も見ているので、一般って残酷で薄情な存在としか思えないんですよね。あるのは愛はなく好奇心だけで、大騒ぎしたかと思ったらあっという間に離れていく。それに一般受けするかどうかは運とタイミングが9割で、結果論でしかないと思うし。だから大衆とかいう気まぐれな無課金には媚びず、自分たちとファンがいいと思う音楽を作ってくれればそれでいいのになと思ってます。

別に売れて欲しくないとか見つかって欲しくないとかそういう気持ちは一切ないです。そもそも人気が出なきゃ仕事は増えないし、仕事がないとメンバーもオタクもモチベが上がらないし、そのままでは解雇か解散なので。これは人気商売である以上避けては通れない事で、一発屋だろうと何だろうと、売れないよりは売れるほうがいいのは間違いないとも思います。それに人気が人気を呼ぶという側面はあるので、大衆に届けることができればそれをきっかけにオタクの総数も増えるから、メリットもあるし。

近年のやたらトレンド入りさせたがる風潮も、少しでも一般に見つかって欲しくてやってるんだろうなと思いますけど(あんまり好きじゃないけど)、自分が好きなものがより多くの人に評価されて欲しい、という気持ちはすごく分かります。流行や運やタイミングみたいな不確かなものを掴んでブレイクする事もこの世界では大事な才能で、誰もが出来るというものではないですから。何よりアイドル本人が望んでいる事であれば、何とか叶えてあげたいと願うオタクの気持ちは当然だと思います。

一般受けしようがしまいが自分が好きなものは好きでしかないし、流行に食いつくだけの人の気持ちはよくわからないから興味もないんですけど、推しが“一般受けの壁”に悩まされてるとなると話は別なわけです。多分、ある一定のラインまでであれば、オタクの力だけでアイドルを大きくする事は出来ると思うんですよ。ジャニならアリーナツアーが出来るとか、単発のドームコンが出来る辺りまでならオタク人気だけでなんとかなる。でもその先どこかで絶対に限界が来るというか、メンバーとオタクの頑張りだけでは乗り越えられない壁にぶち当たるんですよね。

ただ大衆の消費に負けず、国民的と呼ばれるようなアイドルになるのに何が必要かと言えば、やっぱり熱心なオタクの存在も不可欠だと思うんですよ(中身は入れ替わっててもいいので)。一過性のブームで終わってしまうグループに足りないのはそこなんじゃないかなと思ってて。結局は根強いオタクが末永く支えるのがアイドルの強みで、それを大事にしてきたのがアイドル事務所だから、大衆性を持つという事は単に一般受けするだけでなく、一般とオタクの両輪で走り続けていける存在になるって事なのかなと思います。まあそれが難しいんですけど。

K-POPも似たような問題を抱えてますが、例えば音楽番組の1位争いなんかまさにその典型だなと思います。アイドルに興味がない、その価値も分からない大衆が聴く音源成績なんて、オタクの力ではどうしようもないものの極みじゃないですか。オタクしか観てない番組なのに、大衆が聴いてる音源成績がかなり重要っていう、だいぶ謎なシステムだと思うんですが、そのせいで投票を頑張っても音盤いっぱい買ってもなかなか勝たせてあげられないんですよね。

私は音楽番組の重要性がいまいち分からずにいて。視聴率数%もないオタクしか観てない音楽番組で1位取ったからって何やねんとかつい思ってしまってたんだけど、でもメンバーはすごく喜んでくれるし、ファンがアイドルに1位をプレゼントするみたいな構図が結束や思い入れを強くするのもわかるし、その積み重ねが人気につながるだろう事も理解出来るので、さすがに無視出来ないわけですよ。セブチが初めて1位を獲った時の動画、何度も見ても感動するしね。

音源でいい成績を取るためには、オタク人気だけじゃなく韓国内での支持と知名度も必要。その一方で、今のK-POPって海外人気が不可欠みたいな状況もあるじゃないですか(私もその海外勢の一部ですが)。本国では全然知られてないのに音盤とか再生回数はやたら強いとか。それはそれで、なんかうまく言えないんですけどちょっと歪みを感じるので、番組が音源重視するのも、本国人気にこだわるオタクが一定数いるのも何となく分かるようにな気がする。まあどちらも必要と言われればそれまでなんですが。

先日とあるグループが活動4年目にして初めて1位を取ったんです。私はMVを観たことがある程度の知識しかないグループでしたが、よく聞くグループ名だったので初1位という事に驚いたと同時に、メンバーが「1位が最重要ではないけれど、僕たちがずっと音楽をやっていくためには価値の証明が必要だった。でもそれは考えていたよりずっと難しかった」って語ってたのを知って泣きそうになりました(推しにこんな事言われたらどうしたらいいんでしょうか)。

この発言を読んで、“音楽番組1位”なんかにそんな価値を見出して欲しくないって思ってしまったんですよ。アイドルにとって、“音楽番組1位”がどれほど心の支えになるのかは想像に難くないけど、でも視聴率数%もない音楽番組で1位を獲らなくても、大切な仲間と君たちの存在や音楽を大事に思ってくれるファンが価値を証明しているでしょうと。外野は好き勝手言うし、それを止めることは出来ないけど、他人の決めた器に自分を歪めて入れても、壊れるだけだよ、と思ってしまうわけです。大人としては。

でも残念ながらこれがアイドルの置かれた現実なんだろうな、とも思って。メンバーやオタクがどれだけ頑張っても自力では得ることが出来ないものが“大衆性”であり、オタクにとってはある意味コンプレックスというか、もはやトラウマに近い概念なんじゃなかろうか。そしてつくづく、優子の「票数は愛」という言葉は、最終的にお金でしか自分の愛を表現できない無力な存在であるオタクを肯定してくれる優しい言葉だったな…と思います(私は本当にこの言葉が好きだよね…)。

日本は韓国と比べるとまだアイドルに市民権があるほうだと思いますが、音源=一般人気、音盤=ヲタ人気、という構造は同じですよね。しかも今の日本のカルチャーってオタク向けに進化しすぎてしまって、一時的に売れてもニッチな存在から抜け出せないんですよ。マンガやアニメがどこまで売れたところで、やっぱりサブカルチャーである事には変わりないじゃないですか。アイドルもそれと同じで、もうメインカルチャーになる事はないんじゃないかと。というかメジャーとかマイナーの境がないっていうか。

CDの売上が一般人気の証明になる時代はとっくに終わり、テレビに出てもゴリ押しと言われ、みんな知ってて当たり前みたいなムードは好まれなくなり(最近キメハラとかいう言葉を知ってビックリしたけど)、ステマみたいなものに消費者も敏感になってきて、意図的に“売れてる”雰囲気を作るのは難しくなりましたよね。それ自体が悪いことだとは思わないんですけど、そういうムードの中で、今後SMAPや嵐のような国民的グループを生み出すのは相当難しい事になってしまったんじゃないかな。

私が一般受けをあんまり気にせずにいられたのは、単に比較的平和で安定した界隈を推してただけなのかもしれないなと、エンタメの世界というのは永遠に終わらない競争社会なのだと改めて思ったりしました。この世界に足を踏み入れた以上、目の前の坂道を登っていくしかなくて、油断したら転げ落ちるし、トップを走っているように見えても、来年、半年後どうなってるか分からないし。どれだけ人気グループになってもいくらでも替わりはいて、いつかは世代交代が起きる…諸行無常かよ。でもその競争がアイドルを輝かせてる部分もあるんだろうな。

ブームになったりブレイクする事は商業的には間違いなく成功なんでしょうけど、それが幸せな活動とは限らないのがまた切ないところですね。というわけで、結論と言えるような結論が出せませんでしたけど、無理矢理結論づけるとしたら、オタクに出来る事はほぼないってところでしょうか(駄目じゃん)。ブームを作れない我々がすべきことは“推しは推せるうちに推せ”でしかないね。「病める時も、健やかなる時も」って誓いの言葉に例えるのもキモいですけど、でも良い時も悪い時も応援できるオタクでありたいなあとは思います、簡単な事ではないと思うので。おしまい。