アイドル好きの言い訳

いろんなアイドルの話をしてるだけです。

推し変、あるいは担降りという概念について。

最初に言っておきますが、これは担降りブログ的なものではありません。以前から担降りという概念については疑問もあったり、不思議に感じていた部分があってイマイチ理解しきれていなかったなと思っていて、でも最近ちょっと分かってきた気がするので、そんな話を書きたいと思います。

担降りに近い意味を持つ言葉として、推し変という言い方があります。私にはこっちの方が馴染みがあって、以前「推しは増やすものだと思っている」と書いた事もあるのだけど、とは言え推し増しの行き着く先は推し変だろうとも思ってはいて、長くドルヲタをやっていたら避けては通れない道ではあると思いますし、もちろん私も推し変してきてます。でもグループ卒業とか引退とか以外の理由で推しが変わった事がなく、オタクを続けていくためには推し変せざるを得なかった、というのが実際のところでした。

だからこれまで推しが変わる事についてあまり深く考えた事はなかったし、これと言って複雑な感情を抱く事もありませんでした。卒業してアイドルではなくなっていったり、辞めて一般人になって会えなくなったりして哀しい思いはしてきたけど、私にとって推し変はわりと成り行き、もしくは不可抗力だったから、そこに後ろめたいも何もないというか、推し変しなきゃヲタ卒する事になってたわけです。

ジャニーズに詳しくなる前から、担降りブログ的なものの存在は知っていて、何度か読んだ事もあるのですが、(推し変と違って)担降りするのってしんどいんだな、と思ったのと同時に、わざわざ宣言する事に何の意味があるんだろう、という疑問を抱いていました。以前、長年のジャニヲタの先輩にその話をしたら、その友人もわざわざ担降り宣言する人の気持ちは分からないけど「宣言する事で、何かとケジメを付けたいんだろうね」と言っていて、なるほどなと思いつつ、私はそういう心境になった事はないなあと思いました。

ケジメって何だろう。完全に元推しに興味がなくなって、別のメンバーを好きになってしまったのなら、ケジメも何もないだろうし、気持ち的にはまだ未練があるのに、現実としては他のメンバーを推しているから(現場に行ってないとか課金できてないとか)、とかそういう状況から来る後ろめたさなのだろうか、とか。でもその後ろめたさって誰に対する感情なんだろうか。推しに対して? それともヲタ仲間や友達に対して?とか色々考えたりしてました。

女子アイドルの引退卒業は、概ね5〜6年のペースで訪れます。それでわりと充実している方です。女子アイドルで10年以上現役でグループアイドル続けてる子ってかなり稀で、それは女子アイドルの世界が、若くて(処女で)可愛い事が最良とされている事と、それに伴って消費ペースが速くて賞味期限が短くなりがちという問題を抱えているためであり、更に供給する側、つまり女の子側にとっても、アイドルとしてのモチベーションを維持できる限界の活動期間が最大で10年程度だろうと思うからです。

10代前半から20代前半までの、人間が一番魅力とエネルギーを持っていてそれを発揮できる時期に、いろんな犠牲を払ってアイドル活動をするという事は誰にでもできる事ではないし、それぐらい肉体的にも精神的にも消耗するハードなお仕事であると私は思うので、3年で自分が納得できる結果が出なければ辞めていいと思うし、こちらからしたら5年以上続けてくれれば御の字という感覚でした。1番好きだった亀井絵里ちゃんが辞めた時も、Berryz工房が活動休止した時も、悲しかったけど納得できたのはそのおかげです。

でもジャニーズや男子アイドルは違うんですよね。女子アイドルとは比べ物にならないくらい活動期間が長くて、事務所もファンもかなり長い目で見てくれるし、スキャンダルに対する処分も違法行為以外にはゆるいし、結婚してもお父さんになってもアイドルでいる事が許される、面白いジャンルに成長してしまった(特にジャニーズはね)。勿論それはSMAPや嵐を代表とする先人たちのおかげであって、どこまでそれを狙ってやってたのか分からないけど、そういう土壌をアイドル業界に築き上げたジャニーズは本当に凄いなと、ジャニヲタになって改めて思い知らされました。

ジャニヲタの友人に、Jr.を推す事の最大の懸念はデビュー出来ず辞めていく事だという話をしたら、「でもB少年はあと5年は安泰でしょう」と言われ、あー女子アイドルとは活動のスパンやビジョンが違い過ぎるんだ、と気付いて。つまり推しの卒業や脱退に遭遇する確率が、女子ドルヲタと比べるとだいぶ低いのがジャニヲタであり、その反面、メンバーがまだ普通に活動している中で推しを変えなきゃいけないという状況が起きやすく、それが担降り宣言という行動に繋がっていくんだなと思ってすごく納得したんですよね。

それに多分、数年のスパンで推し変する人は重めの担降り宣言なんかしないんじゃないかな。何年もずっと推してた人の方が、色々複雑な気持ちを持ってしまって、一人で抱えきれずに語らずにはいられなくなるんだろうな。そう考えるとわざわざ外に向かって宣言する人の気持ちも分からなくもないし、濃いヲタになればなるほど、きっと推し変は過去の自分を否定するのと一緒だから、抱えきれないというのも分かるなと。所詮自己満足の類ではあるにせよ。

まあ「担当」という言葉の重みについては、人それぞれ考え方が違うだろうし、若いジャニヲタさんは、複数グループにそれぞれ「担当」と「推し」がいるのが当たり前、みたいな子も多いと思うので、そんな深く考えても…って感じかとは思うですが、でもジャニヲタの担当文化(むしろ担降り文化と言ったほうが正しいのかもしれん)って、ジャニーズならではというか、ジャニーズを応援する上で切っても切れないものなのだろうなと思っています。私もそのうち担当ができるのかしら。

ブログや日記みたいなリアルタイムで更新され蓄積されていくものって、どうしても変化からは逃げられないと思うんですよ。その時その時に感じた事を素直に書き残していく事は私は素敵な事だと思うし、変化も含めてその人の感情を追うのは興味深いですし。ただ担降りブログってやっぱり読んでるとちょっと寂しい気持ちになるし、それが自分の推しだったりすると、取り残されたような気持ちになりますよね。楽しく読んでいたブログが推しが変わったっていう理由だけで更新が止まってしまうのも寂しかったりするし。それだったら新しい推しについて楽しそうに語ってくれたほうが嬉しいなって思う。

自分がブログを始めたのはぼっちヲタのストレス解消みたいなもんで、ただただ好きな事を書くためにやってるし、今後も自由に書きたいから、他のグループが好きになったらそういう内容にシフトしていくだけだと思いますが、Twitterに関してはJUMP垢でJr.の話ばっかすんのもな…と思っている自分もいて、その発想があまりにも自分らしくなさすぎて抵抗を感じます。誰かのためにSNSやってるわけじゃないのに、誰の目を気にしてるんだろう。やっぱり後ろめたさの根本にあるのは、自分に対してでも推しに対してでもなく、他人の目なのかも。まあ私のアイコンの画像変わったら察してください。おしまい。